前回の島四国ブログ記事を書いていて気付いたことがあったので調べてみました。
島四国の最初のページもやはり高野山奥の院の納経ページがあります。

ただ島四国に仁和寺(江戸時代までは筆頭門跡だった)の納経ページがないのは少し残念です。
理由は当時(文化7年・1810年)の仁和寺こそ、今治藩が禁じた島四国巡拝に対して「准四国八十八ヶ所霊場」の称号を与え、寺紋章の使用許可を出して自由に巡拝ができるようにしたのだから。


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奥の院の納経印は、ご覧のとおり「3個」です。
このページは平成27年のものです。


しかしわたしが持っている本四国霊場の納経帳を見ると納経印の数が違うことがわかります。


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平成11年当時の納経印です。
真ん中に「2個(合計4個)」のご納経印があります。

これがいつごろから無くなったのかは定かではありません。
ご朱印も寿命がありますので、新調しなかったくらいの理由でしょうか。
時間がある時に高野山関係者に聞いて調べてみたいと思っています。






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