四国八十八ヶ所の「八十八」は何に基づいた数字であるのか
には、様々な諸説がある。

一)日本人の主食である「米」の字を分解したもの。
二)厄年の男性「四十二」女性「三十三」子ども「十三」を合わせたもの。

三)「三十五仏名礼懺悔文」の「三十五仏」と「観薬王薬上二菩薩経」の「五十三仏」を合わせたもの。
四)西国三十三所と熊野九十九王子、日本廻国六十六部などと共に、四国も日本古来の聖教である「八」を重ねて八十八としたもの。

五)お釈迦様入滅の際、八ヶ国に仏骨を分け仏塔が建てられた。弘法大師が入唐時、インドの般若三蔵より八塔巡礼の土を貰い受け、「この八塔の数を十倍し、元の数(八)を加え」四国八十八ヶ所の霊場にこの土を敷かれたもの。(江戸中期刊行の善通寺の記による)

六)お釈迦様は成道の後、鹿野苑で初めて5人の比丘に「四締(したい)の法」を説かれた。これを初転法輪(しょてんほうりん)という。この中に「見惑八十八使」を説いている。それを採用したもの。


四国霊場会では(六)の見解を採用する
四国霊場中興の祖、真念の記した「四国偏礼功徳記」で記されている事が大きな支えになっているとの見解である。



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