京都・高雄山神護寺と千葉・成田山新勝寺は深いご縁で繋がりがある事をご存じですか?

わたしも神護寺に参拝して、たまたま開催中の護摩供に参加出来てご住職とお話しが出来た事でその事実を知ったまでです。仮に護摩供に参加していなければ、この記事のアップもなかった訳であり、これもご縁と言えばご縁なんですね!ついでに言うと護摩供は通常なら毎月第二日曜日の開催なのですが、わたしが参拝した8月16日はその月だけ変則的に開催されたという事も不思議な巡り合わせとしか言えません。

神護寺17

護摩供(ごまく)とは、神護寺のご住職が明王堂の不動明王像の前で護摩木の焚き上げを行う法要の事です。
8月の神護寺は参拝者は少ないためか、寺院関係者が明王堂の前で声掛けをしていました。
「今からご住職が護摩法要をします。間近で見れるのは珍しいのでぜひ見て行ってください」とひとりひとりに声を掛けてくださっていました。

DSCF0539.jpg
明王堂に行ってみると一人の女性が外から中の様子を伺っているだけでご住職以外は誰も中にいません。。。
その点わたしは普段からお四国の住職さん達と接しているので躊躇なく明王堂に入って行く事が出来ました。
その後合計で約15名くらいの参拝者が順次、お堂の中に入っていらっしゃいました。

神護寺18
ご本尊は撮影禁止なのでお堂の外から法要の風景のみを撮りました。
炎が何となく不動明王に見えているのが不思議です。
わたしも護摩木をお供えして「家内安全」を祈願させていただきました。


約40分くらいの法要の後でご住職の法話が始まりました。
元々神護寺にあった不動明王像は今現在は成田山新勝寺のご本尊になっていること。
なぜ関東にあるか?は、平将門の乱を平定するために不動明王を奉じて下総国にて法会を実施。法力のおかげで乱が平定できたので像を持ち帰ろうとしたが「不動」にしてその地から動かなくなり、持ち帰りを諦めたこと。
結果その地に新勝寺が建立されご本尊として祀られるようになったこと。

今、明王堂にある不動明王像は保存修理に出した所、江戸時代くらいの仏像だと思っていたが、どうやら平安後期のものであることが判明し、持ち帰りが出来なくなった代わりにその時代に新しい不動明王像が作られていたらしいことなど、非常に興味深いお話しをお聞きする事が出来ました。


神護寺19

さらに「明王堂」の題字は江戸時代に活躍した歌舞伎役者・七代目市川團十郎の直筆である事をお聞き出来ました。市川家は初代から成田山新勝寺に深いご縁があり、七代目も同様に不動明王に深く帰依していたとの事。そのご縁で明王堂の題字を書いたのではないかとの事でした。題字は「市川7代目白猿納書」と記され落款は「團十郎」と「海老」の二つが押印されています。白猿とは團十郎の俳名のこと。


神護寺20

わたしの質問にも気軽にお答えくださったご住職。
最後に「写真いいですか?」にも、快くお応えくださいました。


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成田山新勝寺縁起




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