2013.02.22 お礼参り
お礼参りについて

四国霊場会公認先達の指南書「先達教典」にはお礼参りについての記載があります。
「社寺にお参りし、その後、ご利益をいただいたお礼に再度参拝すること。
四国遍路の場合は、再度四国遍路することを言う。



わたしがまだ先達資格を有していない時に聞いた「お礼参り」とは明らかに違います。
1)高野山にお参りする
2)88番(大窪寺)結願のあと、10番に戻って1番まで逆打ちする
3)88番結願後、直接1番に戻る
など、皆さんも同様の事をお聞きしていると思います。

特に1番札所ではお礼参り用の朱印まで用意されています。
何も知らない当時のわたしは寺院の言われるままに納経帳を差し出して巻末にご朱印をいただきました。それはそれで有難いものだと思い、次回以降は必ずその朱印をいただき続けた訳ですが、ある日、土佐の霊場で納経を受けている時に巻末のご朱印を見た納経所の方(あとから聞いたのは住職の実弟(故人)さんでした)に「これ何で押している?」と突然怒られました。

お礼参り(霊山寺)

「これは霊場会として認められていない」「二度と朱印を押してはダメ」と言われ、その方は「顔を覚えておくから、次からは朱印をもらわない事」と付け加えられました。
要するに何の規定もない中で1番だけが勝手に実施しているという事を言いたかったのだと思います。

年間延べ10万人以上が巡拝している中で「わたしの顔なんて覚えていないだろう」と甘く見ていましたが、次に同じ札所に立ち寄った時にわたしの顔を見るなり「もう押してないね?」といきなり言われた時はさすがに鳥肌が立ちました。
それ以来、お礼参りと称する朱印を1番札所でいただく事はやめました。


しかしわたしも自分なりにお遍路に関する本を読む限り、上記に述べたお礼参りは最近の事ではなく、昔から連綿と受け継がれており、必ずしも間違いではないと感じるようになりました(ただし朱印は別問題)。
先達教典に明記されている以上、先達として四国遍路のお礼参りの「定義は定義として尊重」しつつ、その他の参拝方法を決して否定しないという立場を取りたいと思っています。
言い換えればそれは個人の信仰心の問題だろうと思うからです。「お礼参り」という言葉の囲いの中に縛ってしまうと、霊場会の立場としては「もう一度全札所をお参りする」という見解になってしまうのだと思います。




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