先日、あるお遍路さんから指摘を受けました。

お遍路さん 「16番の観音寺」の読み仮名は、どう読みますか?

一応、間違いの回答を避ける意味で先達教典を確認して、回答させていただきました。
わたし 「かんおんじ、と発音します」

かんおんじ1

すると、お遍路さん 「霊場会のホームページには、かんのんじ」とあります、と言って来ました。
急いで霊場会のHPを確認すると。。。

かんおんじ2

たしかに「かんのんじ」と表記されていました。
普段は霊場会HPはほとんど見ませんでしたので、これはビックリしました!

すぐさま、霊場会に電話して聞いてみると、、、
正式名称は「かんおんじ」でした。電話の奥で霊場会の人が資料をゴソゴソ取り出して確認されているのが電話口で分かりました。
次にお寺に直接電話して聞いてみると、やはり「かんおんじ」との回答を得ました。
では、なぜ霊場会のHPが間違っているのだろうか?と思っていたら、意外な回答が返ってきました。

お寺「別にどっちでも良いと思います。一時期、(かんのんじ)と呼称を統一するという動きがあったので、霊場会HP作成時に(どっちでも良い)と回答してしまった」そうです。しかし正式には「かんおんじ」が正しい呼称です。




逆に69番札所はどうなんだろう?と気になって、先達教典を引っ張り出すと、、、
「かんのんじ」となっています。

かんおんじ3

さて、そろそろ頭が混乱してきました(笑)
次は霊場会公式HPを検索します。

かんおんじ4

「かんおんじ」。。。!?
要するに、完全に先達教典と霊場会HPがテレコになっています。

改めて霊場会本部事務局に電話してみると、、、
69番の正式呼称は「かんのんじ」が正しい読み仮名でした。

霊場会曰く「ホームページはこれ以外にも割と間違いがある」そうですが、それを放置していらっしゃるようで・・・
これも修行と思い。。。


「かんおんじ市かんのん寺」が正しい呼び方です。
参考までに、観音寺市観光協会のHPを貼り付けておきます。
かんおんじ観光協会公式HP
(クリックできます)



紛らわしいので、最後にもう一度整理しておきます。
16番観音寺の発音=「かんおんじ」
69番観音寺の発音=「かんのんじ」

です。
皆さんもお間違いのないようにしてください!


ついでに申し上げると、
63番吉祥寺の発音は「きちじょうじ」です。「きっしょうじ」とは発音しませんので、併せてご注意ください。





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四国霊場第54番札所延命寺の本堂は昭和元年以来の大改修中です。
年始の完成を目指して地元の宮大工さんが奮闘中。

青鳳(せいほう)工房さんは寺社仏閣専門の建築会社で、55番南光坊大師堂の工事も過去に担当。
地元の寺院から厚い信頼を受けています。今回の見学会も同社が案内役を担当されました。

54-7

見学会で一番興味深かったのが、大屋根(深い軒下)がどのように建てられているか?でした。
それを可能にしたのが「桔木(ハネギ)」と呼ばれる建築方法です。


hanegi.jpg

図面を見るとわかるように、
「てこの原理」を利用して、軒先の荷重を支えて深い軒下構造が可能になったのです。
日本の木造建築技術の粋を集めた寺院建築は、やはりすばらしかったということです。

見学会ではなんとなく見るのでなく、この機会にいろいろ聞いてみることにしました。
たまたまNHK「ブラタモリ」で東大寺の番組を見た後の見学会だったので、それと重ねて見る事ができました。





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四国霊場第55番札所 南光坊は、第二次世界大戦中の今治空襲によりほとんどのお堂が焼失。
本堂も空襲の対象になり、残念ながら消失してしまいます。

本堂が再建されたのは、昭和50年台に入ってからです。
再建されるまでの間は、空襲の難を逃れた大師堂で本尊とお大師様がお祀りされていたとの事です。


DSCF2911.jpg


さて南光坊は今では境内が整備され、大きな山門をくぐると正面に立派な本堂が見えます。
この本堂の大きな屋根に目が釘付けになることもしばしば。

本堂を再建するにあたり、どこかのお寺をモチーフにしたのですが、先代の住職によれば、奈良・唐招提寺を参考に設計されたとの事です。唐招提寺は南都六宗の1つである律宗の総本山であり、南光坊は真言宗・御室派です。
普通なら現在の本山である仁和寺もしくは、以前の本山であった醍醐寺を参考にするものではないか?という単純な疑問は残りますが、そこは再建するお寺の御意向が優先された、と見るべきなのでしょうか…。


大都市を中心に寺院の景観を叫ばれる昨今。
51番石手寺の景観問題もあり(今は円満に解決)、できればこの本堂が写真にあるように、いつまでも青空に映える本堂であり続けてほしいものです。




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四国霊場第37番札所と言えば、高知県窪川町にある岩本寺のことです。

しかし実は明治から大正にかけて(約50年間)の37番札所は岩本寺でなく、愛媛県八幡浜にある「大黒山吉蔵寺」に一時的に札所が移っていたという記録が残っているという。
大変興味深いブログを遍路仲間から紹介されたことを「これは皆さんにも知って欲しい」という思いから、他人様のブログを転載させていただくことにしました。



愛媛西方圏ブログ
(クリックできます)



その事実が本当なら、35番→36番→38番→39番→40番・・・43番→37番→44番→45番(順打ちの場合)になります。(吉蔵寺は八幡浜市旭町に今でもあります)

なんと興味深い札所の歴史でしょうか。
あくまで豆知識としてのご紹介です。深い意味はありませんのでご了解ください。


遍路道から少し離れていますが、時間に余裕のあるお遍路さんは八幡浜に寄ってみるのもいいかも知れませんね!






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テーマ:四国遍路の白装束はいつ定着したか?

松山NDK



四国遍路において白装束といえば遍路の正装と言われて久しいと思います。
遍路指南書にも「白装束でお参りする」という記述が多く見られ、多くの遍路はそれに従います。

ではその白装束とは、いつごろから言われるようになったのでしょうか。
テレビドラマ「水戸黄門」のシーンで見られるように、江戸時代から?なんて思っている人も多いのではないでしょうか。
わたしは明治時代の遍路の姿を撮影した写真を見た事があるのですが、その頃の遍路は白装束ではありません。


今年の8月に愛媛大学の教授が調べたところ、実際に白装束が定着するのは、バス遍路が主流になる昭和30年代になってからという興味深い研究調査をされています。

なおこの調査にともなう成果報告は年内に発刊される論集にも記載があるようです。
この論集も興味深いものだと思いますので注目したいと思っています。


毎日新聞記事
(青文字をクリックすれば記事詳細を見れます)


ただここで紹介したのはあくまで白装束の歴史をヒモ解いただけであり、白装束を否定するものではありません。公認先達であるわたしは今後も白装束を基本として遍路の初心者には「白装束」をオススメする立場に変わりありませんし、自身においても白装束を身にまとい遍路することに変わりありません。





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